ヤクルト色にこんがりと

スワローズやその他スポーツについて語っていくブログです

常に巨人が隣にいた〜9/27ヤクルトVS巨人@東京ドーム〜


プロ野球の人気を巨人が引っ張ってきたのは間違いがない。
リアルタイムには知らないが、王・長嶋のV9時代はもとより、阪神の村山、中日の星野、横浜の平松と言ったライバルたちも打倒巨人に燃えていた。勝負の図式は巨人対その他だった。今ではこんなスワローズブログを書いてはいるが、何を隠そう私が物心ついて最初に好きになったのは巨人だった。関東に生まれた私の父の世代はV9時代を知る世代。ご多分に漏れず父も巨人ファンであった。そして当時はテレビ中継があり、当然のように巨人戦が放送されていた。その流れで当時の私は食いつくように巨人を応援していた。
日テレで当時やっていた三塁打クイズでは緒方耕一に投票し、「巨人優勝の原動力は?」というテレフォンアンケートでは、せっせと落合効果と回答したものだった。10.8決戦はシビれた。落合が来て、広沢がきて、ハウエルが来て、川口和久が来ても特に何も違和感がなかった。世間に何を言われようとも巨人が好きだった。
そうこうして迎えた反抗期。清原がやってきた、マルチネスがやってきた、江藤がやってきた。そしてやってきた選手たちが生え抜きを駆逐し、活躍すればいいが三振やらエラーやら。「何かこの球団おかしくないか?」と思い始めた。そして父親との折り合いも悪かった私は巨人ファンを辞めることにした。そんな中、高校の友人に誘われて、神宮球場にヤクルトの試合を見に行った。そして友人に誘われるがまま、私はヤクルトファンになった。反抗期の私は本当にちっぽけな話で恐縮だけれども、ヤクルトファンという響きにアナーキーなものを感じていた。90年代後半、00年代前半のアンチ巨人ファンの多くがヤクルトに吸収されていたのではないだろうか。巨人キラーで名を馳せた川崎憲次郎も全盛期、そんな反体制派、アナーキーなヤクルトに私は惚れた。そして人柄のよい若松監督の優勝を見て、ヤクルトファンで良かったと思った。
その後迎えた暗黒時代。巨人キラーであった時代は影を潜め、ヤクルト銀行と化す始末。私をヤクルトファンに誘ってくれた友人も、いつしか阪神ファンになり球場をあとにした。私はマイルドなヤクルトファンとして、1年に数回位球場に行く程度には細々とファンを続けていた。私自身も反骨精神旺盛でマイナーなヤクルトファンであることに誇りを感じていたからだ。だからこそ王道の巨人に勝ってほしい、その欲求は強かった。だけれども、その願いは中々叶わなかった。


昨日は苦しい試合だった。もう巨人には勝てないのかと本気で思った。やはりマイナーはメジャーに勝てないのかと思った。迎えた今日の試合。


朝から落ち着かなかった。今日勝たなければ明日はない。だけれども、私は選手の力になることもできない。もどかしかった。私にはただただ戦況を見守ることしかできなかった。スライダーやストレートがビュンと決まる菅野はやはり王道で、殆どストレートを投げずにのらりくらり変化球でかわす石川は王道の逆を行く存在だった。それでも、ランナーは出すけれど要所を締めるかっこいい石川さんは健在だった。
両チームが無得点で迎えた5回表、1アウト2塁3塁で迎えるはピッチャーの石川。菅野の決め球のスライダーを右手一本でライト前へ。テレビの前で思わず拳を突き上げた。
この回2点を加えると、その後が苦しかった。ロマンが招いたピンチを久古が救い、オンドルセクが招いたピンチをバーネットが救った。苦しい苦しい勝利だった。最後は恥ずかしい話だが、直視できなかった。


大きい大きい一勝だった。力は衰えているとはいえ、常に巨大な勢力であった巨人に反骨精神でヤクルトがなにくそ魂を見せつけた試合だった。私が抱いていた強いもの、大きなものへの劣等感も全て拭い去ってくれたような気がした。そういう感情は正統派からみれば屈折した感情なのかもしれないとは思う。確かにヤクルトファンは安定した横綱相撲の醍醐味を知ることは出来ないかもしれない。しかし、ジャイアントキリングの爽快感は何物にも替えがたい。だからヤクルトファンをやめられないのだ。


こうなったらヤクルトは優勝するしかない。14年越しの優勝を私に見せて欲しい。 明日も楽しみだ。